こんにちは。女性の海外ライフスタイル研究所の代表まつなお(松本直子)です。
私は、「海外で暮らしたい」「海外で働きたい」という女性を 25 年以上サポートしてきました。35 歳でアメリカに来てから十数年。現在も多くの日本人女性のお手伝いをしています。
女性の海外ライフスタイル研究所では、20~30 代の女性を中心に、海外でのライフスタイルやキャリアに関する個別相談・勉強会・交流会をおこなっています。今回は、渡米・起業・結婚など、私の海外ライフスタイルのストーリーをお伝えさせてください!
(この記事は、外部のライターさんが取材・執筆してくれました)
美大時代の経験からアメリカに憧れ。でも、騙されて多額の借金......。
世界 80 か国を巡った師匠との出会いが、転機となる。
ーーーまつなおさんは、なぜアメリカに興味を持たれたのですか?
小学生のころから絵を描くのが好きで、賞をもらったりしていたんです。
それで、気づいたら母親から「美術大学に行くのよね」なんて言われるようになり、「お母さんが言うならそうしようかな」と、美大を目指すようになりました。
高校 2~3 年生のときは、近隣の美大受験専門の教室で、毎日絵を描く訓練をしていましたね。休みの日も朝から夜まで、ずっと絵を描いていました。
第一志望には行けませんでしたが、当時、合格倍率 30 倍くらいだった武蔵野美術大学
に現役合格することができました。
大学では、空間演出デザイン学科で、舞台美術やテレビセットなどのデザインを中心
に学びました。アルバイトでも、テレビ局でドラマや歌番組のテレビセットを CAD で
作ったりしていましたね。
海外に初めて行ったのは、ロンドンへの短期留学でした。その後、大学のプログラム
で、教授たちとニューヨークとロサンゼルスへ行きました。
ニューヨークが、とくにかっこよくて、すごく感動したんです。そのとき「ぜったいア
メリカに住もう!」って決めました。
ーーー大学卒業後は、アートの道へ?
いいえ。アルバイト先のテレビ局に就職する道もありましたが、就職したら、もうアメ
リカに行けなくなっちゃうんじゃないかなって思って。
だから、正社員にならずに、バイトや派遣で仕事をすることにしたんです。でも、な
かなかアメリカに行くタイミングが見つからなくて。
「この先、なにをして生きていこう」と不安になることもありました。
そんなとき、ちょっと恥ずかしいんですけど、実は、人に騙されてしまったんです。
あのときは本当にお金の知識がなくて、利子の高い金融機関から借りて、 またそれを
人に貸しちゃったんですね。それが返ってこなくて......。
多額の借金を作ってしまったんです。すごく辛かったですね。
でも、あのとき「私、このままバカなままじゃダメだ!」って、一念発起したんです。
あのころは、ちょうどインターネットが普及していく時代だったので、「私も、インタ
ーネットを学びたい」と同僚に話すと、「うちの兄貴がやってるよ」って。そこから、
お兄さんに教えてもらえることになりました。
教えてくれたのは、宮田さんという方です。当時は、パソコンスクールなどがなく、個
人的に弟子入りしたような感じでした。
ーーーインターネットの師匠!どのような方だったのでしょうか。
宮田さんは 1970 年代に、船で横浜からロシア・ヨーロッパ・南米・北米と、世界 80
か国ほどを巡っていたそうです。たどり着いた土地ごとに働きながら旅をしていたよう
で。そのなかで、フランス人の奥さまと出逢われたようでした。
船旅を重ねるうちに、ロシア人女性と日本人男性のマッチングを始められました。
当時、男性向けの国際結婚マッチングは、男性が数百万円を支払うビジネスモデルが
主流だったのですが、宮田さんはインターネットを使うことで、価格を大幅に下げる
ことに成功されていました。それで、男性からの依頼がどんどん来ていて。
表参道にあった宮田さんのオフィスには、常に、週刊誌やテレビから取材が来ていま
したね。それに、世界中から友人たちが宮田さんを訪ねてきていて、いつも人気者で
した。
インターネットを習うことはもちろん、旅の話を聞くのも、すごく楽しかったんです。
次第に、私も真似をして旅をするようになりました。アジア・ヨーロッパ・アメリカ
と 15 都市以上に行きましたよ。
とくに、宮田さんと奥さんと 3 人で、ネパールのエベレストベースキャンプまでひた
すら歩き続けたのは、貴重な体験でした。「失うものは、もう何もないんだから、なん
でもチャレンジしよう!」って思えたんです。
■ビジネスは順調。これまでのお金の苦労から、投資も勉強。
株を始めて、価値観が大きく変わった。
ーーービジネス面での、師匠からの影響はどのようなものでしたか?
まず、宮田さんのすすめで、旅行サイトを立ち上げることになりました。英語の旅行サ
イトを日本語に訳して、ドメインを取って。
私はアメリカ好きだったので、アメリカ版の国際結婚マッチングサイトを作ればどうか
とも提案してくれて。
宮田さんの教えのおかげで、私の作ったサイトやサービスが人気になって、たくさん
お客さんが来てくれました。
もう、どんどん問い合わせが来るのに、英語が全然できなかったので、大変で。「誰か
助けてー!」って思っていましたね。
以前の騙された経験からお金の勉強も始めていたので、仕事を通じて借金も返済でき
ましたし、さらに投資をしようと考えて 300 万円を貯めることができました。
ーーー順調に起業されたのですね!投資はどのように始められましたか?
投資をしたいと考えたものの、自分ではどうすればいいかわからなかったんです。だ
から、教えてくれる人はいないかなって、探し始めました。
すると、近所に“株大好きおじさん”を見つけたんです。
出会い方は忘れてしまったのですが、その方は、とにかく株が大好きで、株のことを
話し始めると、ずーっと株の話ばっかりしているんですね。
朝、相場が開く前に会うと、今日はこうなるだとか、これを買うべきだとか、話して
くれるんです。その方に株を教わって、自分でも始めることにしました。
それで、貯めた 300 万円を、ぜんぶ株に突っ込んだんですね。そしたら、それが 1 か
月で、すごく大きく値上がりして。
借金を返していたときは、仕事をかけ持ちして、働いても働いてもお金が貯まらなく
て、疲弊して、体重が 39 キロぐらいになったこともあったのに。「お金って、努力じ
ゃないんだ......」って、体感しましたね。
ーーー価値観が変わるご経験ですね。株の収入でアメリカへ?
はい。このお金はあぶく銭だから、持ってちゃいけないって思ったんです。だから、
自分に投資しようと考えて、35 歳で留学を決意しました。
いま思えば、逃げたかった気持ちもあったかもしれません。お金のトラブルに遭った
ことがトラウマで「日本にいたくない。違う世界に行きたい」っていう気持ちがあっ
た気がしますね。
アメリカに行くと話すと、両親には泣いて反対されました。
そのころ、日本はアメリカブームで、テレビや雑誌でもてはやされていたんです。一方
で、アメリカの闇を伝えるようなメディアもありました。父は、いかにアメリカが危険
かという本をたくさん送ってくれて。
いまとなっては、すごく心配してくれていたんだとわかりますが、当時はほとんど耳を
貸さずに渡米を決めてしまいましたね。行き先は、ラスベガスです。
■35 歳、ラスベガス留学。ロサンゼルスで夫と出会いボルティモアへ。
経験を活かして、女性の海外ライフスタイルをサポートし続ける。
ーーー渡米先としてラスベガスを選ばれたのは、どうしてですか?
宮田さんのところで作ったウェブサイト経由のお客さまが、ラスベガスにいらっしゃ
ったからです。案内をしてくれるというので、ラスベガスを選びました。2004 年のこ
とです。
ちょうどバブルの時代で、友人たちがサブプライムローンでどんどん不動産を売り買い
しているのを間近で見ることになりました。今日買った不動産が、明日 2 倍になるな
んてことが、日々起こっていたんですよ。
私は留学生なので投資できなかったのですが、内見が好きだったので、いろんな部屋
を見に行っていたんです。そのときの経験が、いまも役立っています。
ラスベガスでは、最初は学校に行きながら寮に入っていたのですが、教授からの紹介
で、泊まり込みでベビーシッターの仕事をするようになりました。
そこが、とてもお金持ちのお家だったんです。ガスステーションつきのコンビニを 3
軒ほど経営して、ゴルフ場のなかにある富裕層向けゲートコミュニティーに住んでいら
っしゃいました。
おかげさまで、お給料をもらいながら、学校に行かせてもらって、自分のビジネスも
続けられました。
ただ、将来のことを考えると、徐々に「このままでいいのかな」と思うようになった
んです。そんなとき、仕事関係の方がロサンゼルスで看護師の斡旋をしていたので「看
護師になればアメリカにいられるよ」と教えてくれて、ロサンゼルスに引っ越すことに
したんです。
ーーーロサンゼルスでは、どのような生活でしたか?
ロサンゼルスでは、看護師の勉強を始めたものの、すごくむずかしくて。とくに解剖
学がむずかしかったですね。たくさん勉強して、どんどん詰め込んでいったのですが、
「やっぱりもう無理だ!」ってなって、退学してしまったんです。
すると、何もすることがなくなってしまったんですね。
そんなとき、ロサンゼルスに住んでいたお客さまが「少しゆっくりしたら。うちに遊
びにおいで」と言ってくれて、夏休みはその方が住んでいるハンティントンビーチで過
ごすことにしました。そのお宅の庭を管理していた庭師の方が、現在の私の主人、ロ
ーランドさんなんです。
人生って、なにが起こるか、わかりませんね。
ローランドさんに出会ったときは、38 歳。2006 年 8 月に出会い、10 月には結婚しち
ゃったんです。結婚して、いま住んでいるメリーランド州ボルティモアに来くることに
なりました。現在は息子もいて、3 人で暮らしています。
途中、2010 年に、アメリカの家の価格がどんどん下がっていく時期がありました。
以前ラスベガスに住んでいたころ、不動産価格が一気に上がっていたときは「やっぱ
り私には家なんて買えないよね」と諦めていたのですが、アメリカの家の価格が下がっ
たことで、底値でラスベガスに家を買うことができたんです。そこからの収入がいま
もあり、助かっています。
ーーー女性の海外ライフスタイル研究についても、教えてください。
結婚や出産もしながら、ずっと仕事を通じて、世界のいろいろな方々と関わってきま
した。
そのなかで、海外で暮らしたい、海外で働きたいという日本人女性にたくさん出会い
ました。そんな背景から、女性の海外ライフスタイル研究所を運営して、ライフスタイ
ルやキャリアのアドバイス・勉強会・交流会などをしているんです。
年齢を重ねるごとに、フットワークは重くなってしまうものですよね。
でも、私が渡米したのは 35 歳。あれから十数年が経ち、2014 年にはニューヨークへ
の事業展開を始めましたし、2024 年はさらに多くの方々のサポートをしようと新しい
ビジネスを準備しているところなんです。
チャレンジすることって、いつからでも、できるんですよね。
それに、心が折れそうなことや大変なことがあっても、必ず成長につなげることがで
きます。
私自身の人生や、これまで関わったたくさんの女性たちの人生から得た教訓や知恵
を、これからも 20~30 代の女性たちに伝えていき、お役に立てればと思っています。
海外で生活したい方や、海外でキャリアを積みたい方は、いつでもお気軽に相談して
くださいね。
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